
WBC、ワールドベースボールクラシックが終わり、日本チームは世界一の称号を獲得しました。
予選から7試合、勝ち上がれた背景に、選手たちの活躍があったことは言うまでもありませんが、その選手たちの力を信じ、ベンチから精神的に支えた栗山監督の存在こそ、MVPに値するものではなかったでしょうか。
調子がなかなか上がらない村上選手を主軸で起用し続けるのには、相当な勇気が必要です。準決勝、決勝と、結果が出たからいいものの、もし最後まで調子が上がらずに、日本が敗退したら、世間は栗山監督を戦犯扱いしたかもしれません。
でも、栗山監督はそれを承知の上で、村上選手を信じて使い続けたのです。万一結果が出なければ「オレが全部責任を取るよ」、そこまでの覚悟があってこその起用だったと思うのです。その監督の覚悟があったからこそ、村上選手は安心してプレーを続けることができ、最後はプレッシャーに打ち勝ち、自分の力を出し切れたのでしょう。
つまり、人を信じるということは、結果いかんに関わらず、信じるということです。万一結果が出なければ「私が責任を取る」、そこまでの覚悟があってこその信じるという行為なのです。
そして、そこまで覚悟できれば、結果の善し悪しに左往されることはなくなります。たとえそのときの結果が思わしくなくても、人に信じてもらえたことは心の中に残ります。そして、次のチャレンジ、そのまた次のチャレンジに、力となって生きてくるはずです。
不登校の子の将来が心配になり、見守ることが苦しくなってくる時期があります。だらだらとゲームばかりやったり、昼夜逆転している子を見ると、この子が自立して、何かを学びだす日が来るのだろうかと疑って、心配になることがあります。
でも、そういう不安がよぎったときこそ、人を信じる力が必要になるのではないでしょうか。結果はすぐに出ないかもしれないけれど、それでも子どもを信じて、見守っていく。確かに保護者として、精神的に相当きつい、胆力を要することだと思います。でも、親に信じてもらえたことは、子どもの心の中で密かな喜びとなり、自信となり、将来の自立につながっていくのだと思います。
結果いかんに関わらず、人を信じて任せること。それこそが最高の人の育て方なのだということを、今回の激戦を通じて、栗山監督は我々に教えてくれたような気がします。