学びと本能

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子どもは学びの天才

先日、テレビでパンダのシャンシャンが母親と遊んでいる映像を見ました。そのとき改めて思ったのですが、やっぱり子どもは親の真似をして、いろんなことを学んでいくのですね。いい悪いは別にして、それは子どもに備わった本能なのでしょう。

人間の子も同じように、親の真似をして育っていきます。そして、すごいなぁと思うのは、誰に教えられることもなく、ただ真似をしているだけで、自然にいろんなことを覚えてしまうことです。

たとえば、国語である日本語も、いつのまにか喋れるようになっています。この複雑な言語を、学校にも塾にも通わずに独学でマスターしてしまうのですから、ほんと、すべての子どもは天才だと思います。

天才性の喪失

子どものこの天才性はいつ頃から失われてしまうのでしょう。

赤ちゃんは好奇心に満ちた目で周囲を見て、手当たり次第に物に触ったり、口に含んだりしていきます。そして、危険なことにもおじけずに挑戦し、試行錯誤を繰り返しながら、いろんなことを学んでいきます。

そう、誰に教わることもなく、子どもは自然に学んでいくものなのですね。そのめたに、好奇心、冒険心、探究心という「学びの本能」が備わっているのです。

でも、幼児教育が始まる頃から、子どもは大人が用意した知識を学ばされるようになります。そうして、好奇心、冒険心、探究心の3点セットは、「あれしなさい」「これしちゃだめ」の日々の命令によって、少しずつ効力を失っていきます。

やがて小学校に通うようになると、子どもは窮屈な姿勢で机に縛り付けられ、勉強させられるようになります。その頃にはもうすっかり、自ら学ぶ意欲は色あせてしまっているのです。

学びと食欲

なぜ、人は学ぶのか? それは、そこに「学びたい」という欲求があるからでしょう。なにも学びに限ったことではありません。そもそも欲求のないところに人の行為は生まれません。

その典型が、食欲だと思います。食べることは人間の本能に根ざした行為。食欲がないときは、どんなごちそうを出されても食べる気にはなれません。いくら「おいしいよ」「栄養があるよ」と言われても、食べたくないものは食べたくないのです。

そう、本能に根ざした行為の場合、「欲求」がなければ「行為」は生まれません。「学び」も同じです。「学びたい」という欲求がなければ、「学び」は始まりません。

教えないという教育

サドベリースクールには、先生がいません。授業がありません。大人から子どもに教えたり、知識を授けたりすることは一切しません。

それはサドベリー教育が、子どもに「学びの本能」があることを100%信じているからです。

満腹の子に食べさせようとしても、食べたがりません。でも、腹ぺこの子だったら、間違いなく目の前にあるものにかぶりつくでしょう。

学ぶ気のない子に、あの手この手を使って学ばせようとするのは、おなかいっぱいの子に、味付けを変えて無理やり食べさせようとすることに似ています。そもそも食欲がないのですから、どんな味付けにしても食べたがらないのは当然です。

サドベリー教育は「教えない」ことによって、学びの「空腹」を作り出します。その「空腹」が学びの「食欲」を呼び覚まし、子どもが本来持っている「学びの本能」を引きだしていくのです。

そう、すべての赤ちゃんが持っている天才的な「学びの力」。それを損なうことなく最大限に発揮させるために、サドベリースクールは先生を置かず、授業を設けていないのです。

子どもの学ぶ力を、無条件に信じているからこその「自由」がそこにあるのです。

そして、もちろんここでいう「学び」が学校の教科だけを指さないことは、言うまでもありません。

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ベストの人生なんてありえない。

fb2ac7ff87eba9e107972875c6debd8f_m子どもの可能性を奪っている

サドベリースクールには、先生もいなければ授業もありません。カリキュラムもない。子どもたちには何をやってもいい自由があります。そんな状況を、こういって心配する人がいます。「何も教えないというのは、子どもの将来の可能性を奪うことになるのではないか」と。

このようにいう人の根拠は、「子どもは将来物理学者になるかもしれないし、経済学者になるかもしれないし、弁護士になるかもしれない。子どものうちにいろんなことを幅広く学んでいないと、将来その専門家になる道が閉ざされてしまう」ということにあるようです。

確かに子どもは将来何になるか分かりません。親としては、子どものために幅広い進路を想定して、若いうちにさまざまなことを学ばせておきたいと思うのでしょう。

でも、本当にそうでしょうか。そういうことなら、子どもは将来卓球選手になるかもしれないし、テニスプレーヤーになるかもしれないし、ピアニストやバイオリニストになるかもしれません。今話題の将棋や囲碁の棋士になるかもしれない。だから、卓球もテニスも、ピアノもバイオリンも、将棋も囲碁も学ばせないと、子どもの将来を奪うことになるのでしょうか。

子どもはどこまで幅広く、いろんなものを学んでおけばよいのでしょうか。

一流を夢見る親のエゴ

このような親の考えの背後には、「子が一流になって活躍してくれたらうれしい」という思いが見え隠れしているような気がします。

確かに、将棋や囲碁、卓球、テニス、スケート、その他のさまざまなプロ競技は、幼少の頃から始めないと一流にはなれないと言われています。「中学の年齢から始めてトップに行ける選手は少ない」。だから世の親たちは、「この子は何になるか分からないのだから、早いうちからいろいろやらせよう」と焦るわけです。

私も子どもが3歳ぐらいのときには、そんな風に考えたこともあります。「何でも早くやらせなきゃ」と。英語もそうです。ネイティブ並みにしゃべれるようにするためには、幼児のときから英語に親しまねばならない。12歳ぐらいで母語が決まるので、それまでには英語と日本語の両方をマスターさせてあげるべきではないか……。

「でも、ちょっと待って」と、今の自分なら当時の自分に言うことができます。「それは子どものためじゃなく、あんたの欲なんじゃない?」って。

たまたま3歳から卓球を始めて、オリンピックで活躍する選手もいるでしょう。でも、だからといって、みんなが3歳から卓球を始てオリンピックで活躍できるはずはありません。3歳から卓球をさせないからといって、それが果たして子どもの将来を奪うことになるのでしょうか。私はそうは思いません。

もちろん子どもには無限の可能性があります。これは事実です。でも、いくら無限の可能性があっても、選ぶことのできる人生はたった一つです。無限の可能性の中のどれを選べばよい結果がでるのか、実は誰にも分からないのです。

ベストの人生なんかあり得ない

未来のことは誰にも分かりません。そして、人生は一度きりしかないので、他の人生とは比べようがありません。だから基本的に「ベストの選択」というのはあり得ないと思います。「ベスト」という概念は、比較する対象があって初めて成り立つもので、一度きりの人生においてその選択がベストかどうかは永遠に知りえないのです。

子どもの幸せを思うあまり、親は子どもに「最良の人生を歩ませたい」と願います。でも、「何が最良なのか」は絶対に分かりません。だから、子どもの将来を先回りして考え、あれこれ幅広く学ばせるのはあまり意味のないことだと私は思います。

一つ言えるのは、もし「ベストの人生」があるとすれば、それは「その人生を自分で選んだ」実感があるときではないでしょうか。たとえば3歳の子がテレビで愛ちゃんを見た。「私も卓球がしたい」と言ってきた。それに応えて「じゃ、卓球やってみる」と返したとき、選んだのは本人なので、将来の結果はどうであれ、選んだ本人は「自分の人生はベストのものだった」と思うことができるのではないでしょうか。

子どもの人生は子どものもの、決して親のものではありません。人の幸せは、その人自身が決めるべきもので、親が先回りして考えるものではないのだと私は思います。

一度きりの人生、未来はどうなっていくか分かりません。だからこそ、何をするか、何を学ぶかの選択は、子ども自身にまかせたいと思います。自分で選び、歩んできた人生であれば、その結果がどうであれ、「ベストの選択ができた」と本人は思えるでしょうから。

多様な学び、子どもの姿はどこに?

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もっともだと思った息子の意見

先月(2月)の24日、25日に早稲田大学で「多様な学び実践研究フォーラム」が開かれ、私の息子(16歳男子)は「若者シンポジウム」の登壇者の一人として皆さんの前で話しをしました。

それはいいのですが、後日この教育イベントについて二人で話し合っているときに、彼から痛烈な意見をもらいました。それは「多様な学びというのに、子どもの姿がないってどういうこと?」というもの。「大人が勝手に集まって、子どものことについて話しているのっておかしくない?」

なるほどなぁと思いました。2日間、教育に関心のある各方面の方が集まって、さまざまな分科会が開かれ、ディスカッションも行われました。しかし、そこに当事者である子どもの姿はほとんどありませんでした。

子どもの意見を聞かず、勝手に大人が子どもの気持ちを推し量って、ああでもない、こうでもないと話あっている光景が、彼の目には奇異に映ったのでしょう。彼のこの指摘は、教育の問題を考えるうえで大切なことにように感じました。

子どもを置き去りにしてはいないか?

学校教育、オルタナティブやフリースクール、不登校のことなどを語る前に、やるべき大切なことがあると思います。それは当事者である「子どもの声を聞く」姿勢を持つこと。

教育のことを話すイベントに参加して、いつも聞くのは、「子どもに〇〇させるために」「子どもに〇〇してあげるために」といった言葉のような気がします。

「〇〇させる」「〇〇してあげる」はどちらも大人の勝手な思い。「子どもが主役」「子どもの権利を守る」などといいながら、無意識のうちに大人の価値観を子どもに押しつけてはいないでしょうか。

私たちは、子どもにとって何がベストかを考える前に、子どもの意見や主張をできるだけ多く聞くべきなのかもしれません。不登校の問題にしても、教育者や保護者が勝手に騒ぎ立て、当の本人の気持ちが置きざりにされていることが多いように感じます。

子ども抜きの議論は不毛

前回、東京でこのイベントが開かれたときは、会場にはもっと子どもたちの姿があったように思います。そして彼らが発言する機会もあったように記憶しています。

今回、公設民営の事例や、韓国でのケースなどの報告がありました。それはそれで非常に興味深いものでしたが、でも、自治体や民間の取り組み、制度面での議論は多くあったものの、子どもの気持や保護者の思いに寄り添った企画は少なかったように感じます。

多様な学びを議論する前に、彼らの声を少しでも多く聞いて、今の子どもたちが置かれている現状を明らかにすべきだったのではないでしょうか。

家庭でも同じです。子どもを「どこの学校に入れるか」や「通わせるか」という話が多くの家庭で交わされます。問題はこの「入れる」「通わせる」という感覚で、そこに子どもの意志が入り込む余地はありません。特に小学校や中学校の入学時には、本人の意志よりも保護者の意志が優先される傾向にあります。

子どもの人権を真剣に考えるのなら、子どもの声にもっと耳を傾けるべきだと思います。そして、子どもを「判断力のない未熟者」「弱い立場の人間」として見なさずに、独立した一個の人間として捉え、彼らの意志を尊重すべきだと思います。

次回のこのイベントには、もっといろんな立場にいる子どもたちの「本音トーク」を聞ける企画があってもいいのかなと感じました。

文部科学省の方と話してきました。

多様な学び実践研究フォーラム

2月24日(土)・25日(日)の両日、早稲田大学戸山キャンパスで「多様な学び実践研究フォーラム」が開催され、私も参加してきました。これは全国のフリースクールやオルタナティブスクールの運営者をはじめ、学校以外の多様な学びに興味・関心を持つ方が広く集まるイベントで、たぶんこの手のものでは日本最大級ではないでしょうか。

私がやっている「おはなしワクチン」の活動を一言で表すと、「不登校になって苦しむ前に、最初から多様な学びを選択しましょう」ということ。なので、サドベリー、シュタイナー、イエナプランをはじめ、フリースクール、ホームエデュケーションなど、多様な学びの実践者が集うこのイベントには、大きな関心がありました。

シンポジウムやフリースクール、オルタナティブスクールを紹介するブースがあるなか、私が最も興味を抱いたのは、各種のテーマで開かれる「分科会」でした。この中で「文科省と話そう」という分科会に参加してきたので、今回はその話をシェアします。

文科省と話した結果

このイベントに文部科学省から出てきてお話しくださったのは「初等中等教育局 児童生徒課長」の方です。

その話でまず驚いたのは、ご自身が「学校を変えたい」と切に願っているということ。不登校になるのは、児童生徒に問題があるのではなく、「学校の居心地が悪すぎる」からだという認識です。一保護者として、いま学校と戦っているそうです。

そして、次に驚いたのは、全国で一律に決まっている公立学校の始業時間。実はあれ、何の決まりもないそうです。文科省からは一切指示は出ておらず、始業時間は9時でも10時でも構わないとのこと。教室のスタイルも、机を教壇に向ける必要はなく、どんな形式で授業をやってもOKだそうです。学校側が勝手に「忖度」して、横並びの教育を行ってるのですね。

もちろん、不登校に関しても文科省は「学校復帰率を上げろ」などとは一言もいっておらず、むしろその逆で、「不登校は問題行動ではない」「学校復帰を前提にする必要はない」という通知を出しているとか。文科省は“シャワーを浴びせる”ように何度も伝えているそうですが、それを「誰かが傘で受け止めちゃってるのですかね」と苦笑まじりにおっしゃっていました。

こんな中で、最も大きく前進したのは、平成29年に、通知や通達ではなく「小学校学習指導要領」そのものに「不登校児童への配慮」という項目が入ったこと。そして、学習指導要領の解説には、はっきりと「不登校とは、多様な要因・背景により、結果として不登校状態になっているということであり、その行為を『問題行動』と判断してはならない。」「不登校児童が悪いという根強い偏見を払拭し、学校・家庭・社会が不登校児童に寄り添い共感的理解と需要の施設をもつことが、児童の自己肯定感を高めるためにも重要である」と明記されました。

また、「不登校児童の状況によっては休養が必要な場合があることも留意しつつ、学校以外の多様で適切な学習活動の重要性も踏まえ、個々の状況に応じた学習活動等が行われるよう支援することが必要である」とも書かれています。つまり、いままでのように“後ろめたい”思いをせずに、堂々と不登校状態になっていいと、文科省は学校に対して指示を出しているのです。

「文科省の職員の何割ぐらいが学校を変えたいと思っているのですか?」との質問に、坪田さんは「6割ぐらいでしょうか」と答えていました。なんと文科省の職員の半分以上が、今の学校を何とかして変えたいと望んでいるのです。

ただ、文科省がいくら言っても、なかなか変わらないのが学校というもの。だから「民間の方でここはおかしいと声を上げ、どんどん変えていってほしい」とおっしゃいました。その声や活動に対して、文科省は全面的に支援し、援護射撃をしてくださるそうです。

多様な学びの可能性について

さて、私としては、かねてより文科省の方に確認しておきたいことがありました。それは、小学校に上がる段階で「最初からオルタナティブスクールを選択できるのか」ということです。

つまり、国が指定している学校に一度も行かずに、シュタイナーやサドベリースクールに行けるのか、ということ。

「普通教育機会確保法」が成立し、不登校児童生徒には、多様な学びを受ける道が開かれました。でも、学校に一度も行かず、不登校にもならずに、オルタナティブスクールに通うことは可能なのでしょうか。

質問したところ、やはり「制度的には難しい」という答えが返ってきました。法律上は、保護者は子どもを学校に通わす義務があり、最初からオルタナティブスクールを選ぶのは義務教育違反になります。

ただし、「実態としては、そういうケースが認められていることは多々あるので、制度上は難しいけれど、やってやれないことはない」という感じでお答えくださいました。

ここからは個人的な解釈になります。

学校教育法で「保護者は子どもを就学させる義務」を負っているので、オルタナティブスクールに通いたい場合は、まず地元の小学校に行って学籍を置くこと。そのときに、校長先生と話し合いを持ち、「自分はこれこれ、こういう理由で、学校外のスクールに子どもを通わせたいと思っている」と伝えることです。

学校長がOKしてくれたら、地元の学校に籍を置いたまま行きたいスクールに通いましょう。もし、万一拒否された場合でも、実は同じ対応で大丈夫です。学校には通わずに、行きたいスクールに通ってください。30日間が過ぎれば、自動的に不登校扱いになり、そうなれば「普通教育機会確保法」の対象になります。つまり、無理やり学校に戻らず、本人の意志があれば多様な学びを受けても大丈夫ということになります。

結論をいうと、お子さんの就学時、まずは学校へ行くこと。そして、校長に「学校外の学びを選びたい」と伝えること。拒否されても感情的にならず、冷静に話し合いをもって粘り強く「お願い」すること。最悪でも30日が経てば、大手を振ってオルタナティブスクールに行けるようになるのです。

3年後に法律を見直す

2016年の年末に、衆参両議院を通過して成立した「普通教育機会確保法」は、3年後にその内容を見直すことになっています。その中には、学校外の多様な学びを受けている人への、金銭的な支援をどうするかということも含まれています。

また、この法案は当初、「多様な学び保障法案」と呼ばれ、学校外の学びを「普通教育」の中に位置づけるものでした。本来は、義務教育の中に多様な学びを組み込むような内容のものだったのです。

この法律の3年後の見直しによって、もしかするとオルタナティブスクールも「普通教育」の一部として位置づけられる可能性はあります。そうなれば、シュタイナーやサドベリー、イエナプランなどの学校に、義務教育として通うことができるようになります。

でも、実際にどうなるかは、そのときになってみなければ分かりません。だから、私たちとしては、法律に過大な期待を寄せるのではなく、どんどん民間で新しい教育を実践していけばいいのだと思います。

いま、全国で、従来の学校にはないオルタナティブな学びの場を作ろうという動きが活発化しています。そしてまた、そういう教育を子どもに受けさせたいと願う保護者も増えています。

まだ制度的には難しいかもしれませんが、でも実際に私の息子を含めて、多くの子どもたちが初めからオルタナティブな教育を選択し、のびのびと育っています。不登校を経験せずに、自由で豊かな人生を歩み始めています。

「みなさんの活動を応援しています」という文科省の言葉を信じて、ぜひとも憲法で保障されている「教育の権利」を行使していきましょう。自分のお子さんにぴったりの「多様な学び」を選択し、民間としての実績を増やしていきましょう。

もはや学校や教育委員会に、この流れを止める力はないはずです。

「おはなしワクチン」りんごの木アンケート結果

DSC01341アンケート結果をご報告します

2018年1月27(土)、りんごの木。柴田愛子さんという素敵な女性が代表を務める保育の場で、不登校にならないための「おはなしワクチン」セミナーを開催させていただきました。参加者の皆さんにお伝えしたポイントは以下の3つです。

  1. 不登校は法律的に見て問題行動ではないということ。子どもは無理やり学校に行く必要はないということ。
  2. 普通の学校以外にも、多様な学びの選択肢があること。それでのびのびと育っている子どもたちがいること。
  3. 多様な学びの一例として「サドベリースクール」をご紹介し、その教育の背後にある子育ての理念について説明しました。

りんごの木は、子どもに好きなことをして過ごしてもらう自由な保育のクラブです。サドベリー教育との親和性が高いため、半分ぐらいの保護者の方がすでにサドベリーの名前をご存じでした。

50名ほどの保護者が参加してくださり、33名がアンケートに答えてくださいました。以下、その結果をご報告します。

Q1 おはなしワクチンを受けた感想はいかがでしたか?

よかった 97%

まあよかった 3%

ふつう 0%

あまりよくない 0%

よくなかった 0%

Q2 今日の話は子育ての参考になりましたか?

参考になった 97%

まあ参考になった 3%

ふつう 0%

あまり参考にならない 0%

参考にならない 0%

 

 

〈参加者の皆さんのコメント〉

〇これから一年かけて、サドベリー含め、これからの環境を考えていくいい機会になりました。一瞬、サドベリーに行かなければ幸せになれないかも…ぐらいゆれましたが、蓑田さんのお話で元気をもらい、やはり何事も覚悟なのだなと、改めて思いました。子どもの覚悟、自分への覚悟を。たくさんパワーを頂きました。ありがとうございました。

〇不登校が増えていることなど気になっていました。子どもの安心して居られる場所を見つけるのも親の役目なのかなと思い、もしかしたら居場所が家だけだと引きこもりになってしまったりしないかなと思っていたところでした。親として見守る、対等な立場…などなど、心がけたいと思いました。ありがとうございます。

〇子どもの権利、義務を改めて考える機会になりました。子ども自ら人生をデザインする。意識していきます。「親は土壌で、子どもは種」「どちらも未熟者同士」たくさんのキーワードの一つ一つを考え、自分の中に取り入れたいと思った時間になりました。ありがとうございました。

〇りんごの木の小学校ができれば良いなぁと思っていましたが、その一方でしっかり教育ができるのかと疑問に思っていました。今日の話を聞いて疑問が解けました。もっとサドベリー教育が増えて、世間の理解が深まれば良いと思いました。

〇私は小学校で先生をしているので、今日の話は先生たち、保護者の方々にきいてほしいと思いました。ぜひ機会があればお願い致します。

〇教育については勉強してきましたが、実際の保護者の方のお話をきけて、実感をもって学びを吸収できました。

〇こんな「学校」に通わせたいとは思いますが、やはりお金がモンダイですね。

〇「サドベリーって素敵だけど不安すぎてムリ!」という気持ちでしたが、今日のお話を聞いてふっきれました。どこでどう育とうと、育つのは子ども(人)ですね!ありがとうございました。

 

 

 

〇サドベリーの本質を知ることができました。親として、どう子どもと接していくか、あらためて考える機会になりました。

〇子どもに見学させてみようと思います。本当に「子どもを信じる覚悟」、親も修行ですね。

〇関西のサドベリースクールの本を読んだことがあり、とても興味がありました。親としては見学へ行ってみたいです。貴重なお話をありがとうございました!

〇“子どもがのびのびできる場”であってほしいと思うので、小学校を探していて数年前にサドベリーを知りました。りんごに行き、サドベリーのことをもっと知ることができてよかったです。本当はりんごの木の近くにも! ぜひサドベリーができてほしいです。見学にはぜひ行きたいと思います。

〇子どもの人生を子どもに渡す…よくよく理解しながらブレてしまう親心。期待しない、心配しないではいられない親心。悩ましい日々です。

〇すごくすごく良かったです!

〇学校以外の学びについて知ることができてよかったです。子どもを一人の人として関わったり、学ぶ場を選んだりすることが大切だと思いました。ありがとうございました。

〇多様な学校の存在を知られて良かったです。

〇子どもは子どもの人生という気持があるので、話を聞かせて頂けてとても共感が持てました。

〇本日は貴重なお話をありがとうございました。今回、初めてサドベリースクールのお話を聞かせていただき、衝撃の連続でした。自分がいかに子どもに自分の価値観を押しつけていたか、いろいろ考えさせられることが多かったです。子どもを信じて、子どもを見守れる親に少しでもなりたいです。お話を聞かせていただけて本当に良かったです。ありがとうございました。

〇とても勉強になりました。

〇子どもを信じる覚悟につきる!と感じました。

〇サドベリースクールについて、ほとんど内状をしらなかったのでとてもよい機会になりました。それ以上に、親としての考え方、生き方、子どもとの接し方、根本的なことについて学ばせていただきました。本当にありがとうございました。

〇親としての“あたりまえ”という考えをすてて、子どもがどう自律することが最善なのかを考えられて、とてもよい機会でした。ありがとうございました。

〇子どもはまだ3歳ですが、子どもと育っていくための親の気持ちを学ぶことができてよかったです。ありがとうございました。

〇自分の子どもについて、親として話を聞いた部分と、私の育ってきた過去を思い出して、自分を中心に聞いた部分があります。育児、とてもおもしろい、たのしい! でも自分は苦しいと思うこと多いです。一緒に育ちたいですね。

〇以前にくらべて学校以外の多様な学びがテレビ等で知られるようになってきていますが、もっといろんな人にそのことがあたりまえのように受け入れられるといいと思います。サドベリースクールの方とお話するのは初めてだったので、お話が聞けてよかったです。ありがとうございました。

〇日々迷い生活してます。聞いたお話はセミナーなどでもたまに聞くのです。あまのじゃくなので頭で分かっていても行動に移せない自分がいます。子どもを「自由」にしてあげたいです。

「りんごの木」で、おはなしワクチン!

DSC01329サドベリーと同じ空気

「りんごの木子どもクラブ」の創立は1982年。代表である柴田愛子さんの「子どもは自ら成長する力を持っている」という考えで始まった自由な保育の場です。「子どものやりたいことをとことんやらせる」という方針は、まさにサドベリー教育に通ずるもの。そこで「おはなしワクチン」をやらせていただける、こんなに幸せなことはありません。

1月27日の土曜日、お休みの日にも関わらず50名を超える保護者の方とスタッフの方が集まってくださいました。こちらは東京サドベリースクールのスタッフと、私と、保護者の3人。それにフリースクールにお子さんが通われる方もお手伝いに来てくださいました。

もともとサドベリーと親和性の高い保育の場なので、保護者の皆さん、興味ありありといった感じ。柴田さんのユーモアたっぷりの挨拶から、素敵な時間が始まりました。

スクールの立場から

まずはスクールの代表理事、杉山さんからサドベリー教育についての説明がありました。「サドベリー知っていますか?」の問いに、半分ぐらいの方が手を挙げられました。これが多いのか少ないのか? たぶん「りんごの木」だから知っている人は多いのでしょう。一般の保育園ではほとんど知られていないのではないでしょうか。

サドベリースクールの歴史、教育の方針、スクールでの生徒の日常などを写真を交えて紹介。前列に座っている方はご存じなのか、うんうんと何度も頷く様子が見られました。さすがに子どもたちがゲーム三昧のところでは、驚きと戸惑いの表情も……。ここは意見が分かれるところですね。

さて、スタッフからの説明が終わり、いよいよバトンがまわってきました。「おはなしワクチン」接種の時間です。

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保育の場で初めての「おはなしワクチン」

おはなしワクチンのポイントは3つ。一つ目は、「不登校になっても大丈夫なことを法律面から考えること」。二つ目は、「世の中には学校以外の多様な学びの場がすでにあることを知っていただくこと」。そして三つ目は、「保護者の立場から見たサドベリー教育の価値」です。

まず、「日本国憲法」と「学校教育法」、一昨年成立した「教育機会確保法」の条文を紹介し、不登校が法律的に問題ではないことを説明しました。義務教育は、保護者の義務であって、子どもが学校に通う義務ではありません。法律的に見ても、不登校は何の問題もないのです。ちょっと固い話なので心配でしたが、皆さん熱心に聞いてくださいました。

続いては多様な学びの話。今回はサドベリースクールのスタッフから事前に説明があったので、ここは簡単に説明しました。サドベリーに限らず、シュタイナーやイエナプラン、東京シューレなどのフリースクール、ホームエデュケーションもあるよとお伝えしました。

そして、最後は「保護者から見たサドベリー教育の価値」です。「子どもと親は対等関係」「子に期待しない、心配もしない」「自由と責任はセット」などについてお話しました。でも、いちばんお伝えしたかったのは、自分で自分の子のことを考えること。「親とは何か」「学校とは何か」普段スルーしてしまっている根本的なところに目を向け、自分なりに教育について考えることが大切であるとお伝えしました。

そう、何より重要なのは、「自分で考えること」だと思います。なぜなら、それぞれの子ども、それぞれの家庭は違うから、人の方法をそのまま当てはめても、うまくいかない場合もあるのです。

笑いあり、うなずきあり、真剣なまなざしありの楽しい時間。話す側と聞く側の心がひとつになって、あっという間に時が過ぎていきました。今回のおはなしワクチンで保護者の皆さんが感じたことは、アンケートの結果を後日まとめてお知らせいたします。

今後の展開が楽しみ

今回は、保育園で初めて行った「おはなしワクチン」でしたが、想像以上に皆さんの反応がよく、好意的に聞いていただけたようです。「子どもは自ら成長する力を持っている」「大人がこう育てたいではなく、その子のやりたいことをやらせる」という、りんごの木の方針とサドベリー教育の考えが近かったからかもしれません。

代表の柴田さんも「ほんと、私がいつも考えていることとおんなじこと!」と言ってくださり、「私の本を読んだからじゃない」と言って笑いを取っていました。

就学前のお子さんを持つ保護者の方に不登校の問題を考えていただくことは、とても大切なことだと改めて思います。不登校になると何か悪いことのように思えますが、それは社会の方が間違っているから。不登校自体、なんの問題もなく、ただ学校に行っていないだけのことなのです。

学校以外にいくらでも学びの場はあるし、それで立派に育っている人もいる。そのことをあらかじめ知っているだけで、不登校の問題はあらかた解消します。

柴田さんを始め、スタッフの方、保護者の方とも今回はゆっくりお話しすることができました。そして、「今の教育に新しい風を吹き込もう」という思いで一致しました。今後もまた、柴田さんのお力をぜひともお借りしたく思います。

次の活動へつながる予感をいただいた、素敵な会になりました。柴田さん、スタッフの皆さん、保護者のみなさん、本当にありがとうございました。りんごの木、サイコーです!

 

保育園で「おはなしワクチン」やります!

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りんごの木で「おはなしワクチン」やります!

今度の1月27日の土曜日、横浜にある保育園「りんごの木」さんでお話しをさせていただきます。りんごの木は、柴田愛子さんが代表をつとめる素敵な保育園。子どもたちは一人ひとりの個性を大切にされながら、のびのびと育っています。

今回お話しさせていただく対象は、園の保護者さんとスタッフさんです。なぜ保育園で「おはなしワクチン」? その最大の理由は、未就学のお子さんを持つ保護者の皆さんに、お子さんが不登校になる前に「不登校」への対処法を知っておいてほしいからです。

もちろん、小学校に上がって必ずしもお子さんが不登校になるわけではありません。ほとんどの場合は学校になじみ、楽しい学校生活が始まります。

でも、それでも、ある日突然、不登校になることがあります。そうなると「学校に行きたくない」と言い出す子を前に、親はどうしていいか分からなくなります。

「え、うちの子が? なんで?」

「いじめられてるの?」と聞いても、子どもは何も答えません。万一いじめられていたとしても、子どもは口が裂けても親の前では告白しません。理由が判らないまま、学校に行き渋る子を前に、親はおろおろするばかり。これが一般的な不登校のケースです。

不登校の理由はフクザツ

子どもが不登校になる理由は千差万別です。「いじめ」とか「教師の対応」とか思いがちですが、そう簡単なものではありません。発達特性や、神経過敏など、いろんな要因が複雑に絡み合っていることもあります。また、本人にも理由が分からずに、ただ「疲れた」「行きたくない」ということもあります。本当のところはなかなか判らないのです。

なので、「単なるわがまま」「怠けてる」と思い、親が無理やり学校へ行かせるケースも少なくありません。でも、実はこの「無理やり」が不登校をこじらせてしまうのです。

なぜなら、不登校の子にとって、親は「最後の砦」だからです。

そもそも学校に行きたくないわけですから、その子は学校に受け入れられていません。友達にも会いたくないわけですから、友達にも受け入れられていません。では、誰がその子を受け入れてあげるのでしょう。親です。親以外に、子どもを受け入れられる存在はありません。

その親に突き放されて「学校へ行け」と言われたら、その子はどんな思いがするでしょう。誰にも受け入れられず、不登校の負い目を背負いながら、この世でひとりぼっちになったような孤独を味わうのではないでしょうか。

そうなると子どもの自己肯定感はどんどん下がり、負のスパイラルに入り込んでしまいます。

不登校は悪いこと?

さて、ここで「おはなしワクチン」の出番です。「おはなしワクチン」は、お子さんが不登校になる前に、不登校になったときの対処をあらかじめお教えしておく活動です。そう、インフルエンザになる前にワクチンを打っておく、あの予防の感覚ですね。

「おはなしワクチン」のポイントはたったの二つ。一つは「不登校は法律的に見て問題ないこと」を理解してもらうこと。もう一つは「世の中には学校以外の多様な学びの場があること」を知っておいてもらうこと。この二つを知っていれば、不登校の問題はあらかた解消するのです。

不登校は悪いことですか? 決してそんなことはありません。ただ子どもが学校に行っていないだけのこと。

たとえば「金魚」を海水で飼ったらどうなりますか。たちまちぐったりして元気がなくなりますよね。その金魚をあなたは海水に戻そうとしますか? そんなことをしたら死んでしまうかもしれません。

子どもも同じです。不登校は「学校の水が合わない」だけの状態。つまり、海水に入った金魚です。無理やり学校に戻すのがいいのか、それとも海水ではなく「淡水」の水槽を探すのか。どちらがいいかは明白ですよね。子どもにとって「水の合う居場所」を探してあげればいいのです。

保育園・幼稚園でやることの意味

保育園や幼稚園までは義務教育ではないので、学びの多様性が保たれています。たとえば、りんごの木さんのような自由な保育や、森の幼稚園、モンテッソーリやシュタイナーなど、海外の教育理論に基づいてやっているところもたくさんあります。

でも、小学校になったとたん、その多様性はすべて消え、国が決めた公教育一本に収束していきます。いま、全国には約20,000校の小学校がありますが、そのうち99%が公立で、私立が1%の200校。そして、幼稚園や保育園では可能だった多様な学びを行う学校は、無認可の学校となり、その数も%では表せないほど少なくなります。

幼稚園や保育園で保障されていた多様な学びの可能性は、小学校に上がったとたん、一気に消滅してしまうのです。そして、のびのびとした園で育っていた子ほど、公教育との落差に苦しみ、困惑してしまうのです。「おはなしワクチン」を保育園・幼稚園でやる意味はここにあると思います。

お子さんが小学校に上がる前に、ぜひ、「不登校は法律的に問題ない」こと、「多様な学びを実践している学校がある」ことを、保護者の方に知っておいてほしいと思います。

そしてまた、いまこの日本でも、サドベリー教育やシュタイナー教育、イエナプランやフレネ教育を取り入れている学校に通えることを知っておいてほしいと思います。

そのために保育園と幼稚園で「おはなしワクチン」をやります!

第一回の保育園向け「おはなしワクチン」を、「りんごの木」さんのような素敵な保育園でできること、本当に幸せに思います。この機会を与えてくださった柴田さんには心より感謝いたします。当日の模様などは、またこのブログでお伝えしたいと思います。