サドベリーは、教育じゃない

「サドベリー教育」って、世間的にはちょっと誤解されているんじゃないかと思います。

まあ、これは自分個人の感覚なので、他の人の意見とは違うかもしれないけれど、サドベリーはいわゆる教育とは一線を画すものだと思っています。

なぜかって?

世間一般で思われている教育って、「子どもの力を伸ばす」とか、「よりよくしてあげる」とか、そういう向上させるイメージがあるじゃないですか。

でも、サドベリーは違うんですね。必ずしも「向上することがいい」みたいなことではないんです。

サドベリーに行ったから自立するとか、人間がしっかりしてくるとか、そういうことでもない。

前にも書いたけど、サドベリーに在籍してた子たちは、自分のことをよく知っていて、自分のやりたい方向へ進んでいく傾向があります。それは確かです。

でも、その方向は、必ずしも世間一般の大人が望んでいるようなポジティブな方向だとは限りません。

極端な話、自分が怠け者でいいやと思ったら、怠け者になる。それも含めて自分らしい道を歩んでいくのがサドベリーの子たちです。

そもそも、大人はなぜ子どもに、伸びることや向上することを望むのでしょうか。

向上心を持つ方がいいなんて、誰が決めたのでしょうか。

よりよい自分、よりよい暮らし、よりよい明日を求めて来た結果が、これだけの文明の発展をもたらしてきたけれど、環境破壊も招いたし、ストレスフルな社会だし、格差も広がってみじめな思いをする人も増えたような気がします。

向上することって、本当にいいことですか?

誰もが当たり前に思っていた「向上=善」みたいなものを疑う時代に来ているんだと思います。

だから、はじめの話に戻るけど、サドベリーは教育ではない。

いまの大人が望むような人間を作るためにある学校ではないということです。

花壇に植えた花はみんなを喜ばせるように一斉に咲くけれど、野に咲く花はバラバラで、誰が見ようと見まいと勝手に咲きます。

そう、サドベリーは、これまでの教育の価値観では図れない、“野っ原”のような学校なのです。

“サドベリーは、教育じゃない” への 3 件のフィードバック

    1. 拝見しました。ご紹介くださいましてありがとうございます。熊本のオルタナティブ熱の高まりはすごいですね。またいつかぜひ熊本に伺いたいと思っています。

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